羽生結弦さんの記事を集めました ①
#結婚 を発表した #羽生結弦 さん。
— てれまさ (@nhk_tohoku_news) August 4, 2023
4月の #てれまさ 生出演のプレーバックを、前・中・後編でお読みいただけます。#宮城NEWSWEB #NHK
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「てれまさ」羽生結弦さん生出演プレーバック<前編> | 知っトク東北|NHK
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■「おげんさんの #サブスク堂」番宣ゆずあり>>https://youtu.be/Ojb1Tk42g-s
- 羽生結弦は「本当に優しいスケーター」 ブレード職人が靴で気づいた「心の美しさ」
- ケガとの戦い、弱さも赤裸々に告白――羽生結弦自叙伝「蒼い炎」の編集者が語る魅力
- 羽生結弦さん、アイスリンク仙台に5588万円寄付 総額8733万406円に
- 世界の羽生を支えたリンク震災後、8ヵ月間練習
- 羽生君は震災で神奈川に練習しに来ていた時、自分の練習よりも都築チームの練習生に沢山親身になって教えてくれました
- 新天地で鍛え抜き、ソチの星となれ
- 「選手のためだけに衣装をつくりたい」羽生結弦らを担当するデザイナー 伊藤聡美のフィギュアスケートへの想い
- 羽生結弦が語る、この半年間で生まれた変化 「服ってこんなに意思があるんだな」AERA 2023年8月14-21日合併号の記事を紹介
- 羽生結弦「私も好意を…」幼馴染のJOC理事語るモテモテ秘話
- 内村航平×羽生結弦SP対談 二人の王者が語った“究極のゾーン”体験 “操り人形系”羽生と“ロボット司令塔系”内村
- 堂本光一(44)羽生結弦(28)が初対談。NHKEテレ「スイッチインタビュー」
羽生結弦は「本当に優しいスケーター」 ブレード職人が靴で気づいた「心の美しさ」
2022.02.11
第4回後編は「ブレード研磨職人が見た羽生結弦」。シューズの底に取り付けられた「ブレード」と呼ばれる刃の部分を研ぐ職人。この道10年になる38歳の櫻井公貴(きみたか)さんはかつて羽生に携わった時、素直な性格と靴に表れた超一流選手の違いを見た。◇ ◇ ◇
8年くらい前だったか。年月は正確に覚えていない。でも、羽生の忘れられない姿がある。
「彼はもう、本当に素直でした。周りのアドバイスを聞き入れてくれます」
羽生が愛用するイタリアのメーカーから依頼を受け、櫻井さんが靴のサイズ選別に携わった。当時は成長期を見越して少し大きめのものを使っていたが、ちょうど体の成長が止まった時期。「サイズを一つ下げた方がいいんじゃない?」とアドバイスした。縦幅5ミリの差。繊細な感覚を持つスケーターにとって大きな違いだ。
「全然、問題ないですよ」
返事はさらりと返ってきた。
横浜と千葉に拠点を置く櫻井さんは、普段から羽生を見ていたわけではなく、関係が深いとは言えなかった。でも、物は試し。羽生は些細な助言もやってみてから取捨選択した。「サイズを替えるのを嫌がる選手もいますけど、彼はそういうのがなく、素直にそのまま下げてくれました」
プロの意見を聞き、ワンサイズ小さいシューズでリンクに向かった。感触はバッチリだった。
櫻井さんも全日本選手権の出場経験があるフィギュアスケーターだった。本格的に研磨職人の道を歩み初めて10年。日本代表を含め、今も全日本選手権に出場するようなトップ選手10人ほどに関わっている。
年間約500足、多くの選手と誠心誠意向き合ってきた。預けられた靴を見ただけで、どんな性格なのか想像できる。「羽生結弦」というスケーターの特長とは。素直な人柄らしいものだった。
「靴の扱いが上手いので壊すことも少ない。負荷を掛けない滑り方をします。ジャンプでも、強く一気に『ドンっ!』と降りる選手はすぐに壊してしまう。羽生選手にはそれがないんですよね。やっぱり着地とかが綺麗で、無理なくスケートをしています。高くてダイナミックに降りる選手もいれば、綺麗に見えてもめちゃくちゃ踏ん張って負荷を掛けている選手もいる。羽生選手は凄く綺麗にシャーっと力を逃がせています」
全日本レベルの選手なら、6~8か月に1回を目安に靴を新調する。羽生は平均より長くはける方だという。
「道具に対しても、彼は本当に優しいスケーター。だから本人も、こちら側も苦労しにくいですね」
心の美しさは足先にまで表れている。
引用: 羽生結弦は「本当に優しいスケーター」 ブレード職人が靴で気づいた「心の美しさ」
「靴の扱いが上手いので壊すことも少ない。負荷を掛けない滑り方をします。ジャンプでも、強く一気に『ドンっ!』と降りる選手はすぐに壊してしまう。
羽生選手にはそれがないんですよね。やっぱり着地とかが綺麗で、無理なくスケートをしています。
高くてダイナミックに降りる選手もいれば、綺麗に見えてもめちゃくちゃ踏ん張って負荷を掛けている選手もいる。羽生選手は凄く綺麗にシャーっと力を逃がせています」
全日本レベルの選手なら、6~8か月に1回を目安に靴を新調する。羽生は平均より長くはける方だという。
<記事抜粋>
羽生さんは靴を3年履いてるとか、いってましたもんね!
ケガとの戦い、弱さも赤裸々に告白――羽生結弦自叙伝「蒼い炎」の編集者が語る魅力
引用:ケガとの戦い、弱さも赤裸々に告白――羽生結弦自叙伝「蒼い炎」の編集者が語る魅力 – Yahoo! JAPAN
3/11(土) 7:00配信
羽生結弦さんの素顔が、編集者により明かされました。
現在発売中の、羽生結弦自叙伝「蒼い炎Ⅲ−究竟(くきょう)編−」(扶桑社刊)。初の世界選手権で銅メダルを獲得直後の2012年に発売された「蒼い炎」、ソチオリンピックでの金メダル獲得後の2016年に発売された「蒼い炎Ⅱ−飛翔編−」に続く、シリーズ3冊目となります。
羽生さんがケガと戦いながら平昌オリンピックで金メダルを獲得し、2020年の「四大陸選手権」で男子フィギュアスケート史上初のスーパースラム(※)を達成するまでの2016年~2020年のシーズンに密着した「蒼い炎Ⅲ−究竟編−」。
(※)スーパースラム…オリンピック、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権もしくは欧州選手権、世界ジュニア選手権、ジュニアGPファイナルをすべて優勝すること。
この本の編集を担当した、大久保かおりさん(扶桑社)にインタビュー。「蒼い炎」の1冊目(以下「Ⅰ」)から、羽生さんを見つめ続けた大久保さんだからこそ知る、羽生さんの素顔や魅力を語ってもらいました。
<「蒼い炎Ⅲー究竟編ー」編集 大久保かおりさんインタビュー>
――「Ⅰ」の制作はどのようにスタートしたのでしょうか。
2011年の東日本大震災で、羽生さんが練習していた「アイスリンク仙台」が被災したとうかがい、私たちに何かお手伝いできることがないかと考えて「『チャリティブック』を作りませんか?」とご提案したのが最初です。
震災後、羽生さんは全国のスケート場を転々としていたので、印税を遠征費の足しにしていただけないかと考えたんです。
羽生さんは、ジュニアからシニアに上がったばかりでしたが、彼のこれまでのスケート人生や、被災してご苦労なさったこと、スケート観や目標についてなど…。見る人を惹きつけるルックスも含めて彼のことを広く知ってほしいという思いがあって、自叙伝という形でまとめることになりました。
ご本人とお母さまから、支えていただいた方々へ感謝の気持ちを伝えたい、また印税は全額「アイスリンク仙台」に寄付をしたいというお申し出をいただいたので、羽生さんの印税と弊社の売り上げの一部を寄付しております。
――「蒼い炎」というタイトルは、今、振り返るとまさに羽生さんの競技人生そのものという印象を受けます。タイトルはどのように決めたのですか?
「Ⅰ」の表紙は、写真家の能登直さんの撮影で、羽生さんが海の波を表現した衣装(11-12シーズンSP『悲愴』)をまとっているのですが、波の表現が蒼い炎が燃え上がっているようにも見えました。
当時の羽生さんから、自分の内面に燃える負けん気や強い思いを力に変えていく選手だという印象も受けたので、「蒼い炎」というタイトルをご提案しました。
――「Ⅰ」のとき17歳だった羽生さんは、続編となる「飛翔編」(以下「Ⅱ」)で飛躍的な活躍を見せました。その成長をどのように見ていましたか?
羽生さんは「Ⅰ」の発売直前の「世界選手権」で3位になり、活動拠点をトロントに移すことになったのですが、まだ17歳でご家族や大好きな地元の仙台と離れるのは、大きな葛藤があったと思います。それでも自分が目指す理想のスケートを追い求めるために覚悟を決めて、新しい拠点でたくさんの刺激を受けながら飛躍していく姿を、非常に頼もしく拝見していました。
インタビューを重ねるごとに、興味や関心の幅がどんどん広がっていくのも感じましたし、ハビエル・フェルナンデス選手をはじめとした仲間やコーチ、振付師の方々に触発されて、成長された部分も大きかったと思います。
ただ一方で、ご本人の芯になっているスケート観はまったくブレることがなくて。「Ⅰ」と「Ⅱ」でおっしゃっていたことが、「Ⅲ」に収録されている平昌オリンピックでことごとく実現されていきました。
「Ⅰ」と「Ⅱ」は予言の書なのではないかと思ってしまうくらいでしたが(笑)、それは羽生さんの中の「理想」が一貫しているからなのだろうと感じています。
2020年2月、スーパースラムを達成した四大陸選手権にて、フリー『SEIMEI』(本編未掲載カット) ――その「理想」とは、どんなものだったのでしょうか?
10代のころから理想に掲げていたのは、エフゲニー・プルシェンコ選手。優勝して満足することなく、その次は優勝した自分を超えて勝ち続ける姿に憧れていました。2018年のオリンピックまでは自分もそんな戦いを続けて、金メダルを獲りたいと「Ⅰ」で語っています。
また当時、2010年バンクーバーオリンピックでは4回転を回避する選手も多かったのですが、羽生さんは「平昌オリンピックでは、4回転が当たり前の時代になる」と読んでいました。でも「自分はサルコウとトゥーループの2種類くらいでいい。あとはスケーティングやプログラムを完成させたい」という軸からブレることがなかったんです。
平昌オリンピックでは、ケガの影響もありましたが、まさにサルコウとトゥーループで勝負をして優勝しましたし、「Ⅰ」のときに「ジャンプがステップやターンの一部に見られるくらいにならないといけない。ジャンプだけではなく、スピンやスケーティングを含めたトータルパッケージで戦っていく。それが『フィギュアスケート』だ」と語っていらっしゃった。羽生さんの揺るぎないスケート観に、驚かされました。
自叙伝だから語られた「人間・羽生結弦」のもつ「弱さ」
――「Ⅲ」では羽生さんがケガに苦しみ、そこから立ち直っていく様が克明に描かれています。アスリートがケガについて公に語るケースは、そんなに多くないですよね。
確かにスポーツ選手は、大会の公式会見などで自分のケガについて詳しく語りたがらないですよね。言い訳に聞こえてしまうケースもありますから。ただ「蒼い炎」は自叙伝ですので、「今だから話せる」というお話を深堀りすることができました。
ケガの痛みやつらさについて、ここまで率直にお話いただけたのは、羽生さんにとっては過去のことで、それを乗り越えてきた強さがあったからだと思います。
完璧な「王者・羽生結弦」というオフィシャルの面で見せている顔とは違った、「人間・羽生結弦」の弱さまで赤裸々に明かしてくださったのは、自叙伝だからできたことだと思いますし、この本の最も面白い部分なのではないかと思っています。
2020年2月、四大陸選手権にて。この後コロナ禍で大会が無観客開催となり、プーさんの投げ込みもこれが最後となった(本編未掲載カット) ――大久保さんは「人間・羽生結弦」のどんなところに魅力を感じているのでしょうか?
カメラマンが撮影した膨大な写真の中から、掲載する写真を選ぶのが私の役割なのですが、羽生さんは本当に多彩な表情をお持ちなんです。表情が驚くほど目まぐるしく変わりますし、頭の回転が速い方なので、撮影中にもこちらの要望に即座に反応して、さまざまな表情を見せてくださいます。
10代のころのような子どもらしい愛らしい表情は、さすがに20代後半に入った最近ではなかなか見られなくなってきましたが、「Ⅱ」と「Ⅲ」のカメラマンの浅倉恵子さんは小さいころから羽生さんのチャーミングな表情を切りとってきた方。浅倉さんがカメラを向けると、普段とは違うお茶目なポーズや表情を見せてくれるんです。
そういった写真を見ていて、羽生さんの大きな魅力の一つはやはり「ギャップ」にあると感じました。競技中の鬼気迫るような迫力のある表情と、演技が終わったあとのふにゃっとした表情。そこが多くのみなさんを引きつけるのだと思いますし、私もそういう表情に魅力を感じています。
また、「蒼い炎」の趣旨に沿っていえば、何十年に一度現れるかどうかという才能をもった青年が、東日本大震災という未曽有の災害に直面し、はたしてスケートをこのまま続けていいのかと苦悩して、その後、少しでも被災者のみなさんの励みになればという思いで競技に挑んできました。
自分のためだけではない「何か」を背負ってスケートを続けていく、そんな運命を引き受ける覚悟が、彼を唯一無二の存在にしているのではないかと思っています。
プロ転向の「今」だから話せる、2019-2020シーズンへの思い
――編集者の立場からオススメしたい、「Ⅲ」の読みどころを教えてください。
「Ⅲ」はスポーツライターの折山淑美さんが2016年から2020年四大陸選手権までの数々の大会で取材したインタビューなどで構成しているのですが、そのほかに本書だけのために、新たに2019-2020年のシーズンを振り返っていただきました。
自分で感じるスケートの手応えと評価の乖離など、ご自身の競技人生の中で最も苦悩したシーズンの一つを振り返り、ある種の”悟り”に至るまでの心境を初めて語っていただいたインタビューは、まさに今だから話していただけた貴重な証言だと思います。
ちなみに「Ⅲ」のサブタイトルの「究竟」という言葉は、「この上なく優れたもの」「究極のもの」という意味なのですが、ほかの選手との「順位」を争う「競技」としてのフィギュアスケートのあり方に縛られない、現在の羽生さんを象徴する言葉だと思って選びました。
2018年8月、トロント公開練習にて。浅倉カメラマンにおどけた表情を見せた(本編未掲載カット) ――また、「Ⅳ」が今春発売ということですが、どのような内容になっているのでしょうか。
「Ⅱ」を出した2016年から「Ⅲ」の出版にこぎつけるまで7年もの時間が空き、いろいろなことがありすぎました。もともとは1冊にまとめようと動いていたのですが、羽生さん側から「2冊に分けてはどうか?」というご提案をいただきました。
ですから「Ⅳ」は北京オリンピックに向けての歩みと、プロに転向して前人未踏のアイスショーを作っていく過程など、「Ⅲ」の続きから現在に至る道のりを追っていく内容になっています。
――最後に、「Ⅳ」の先にある今後の羽生さんに期待していることについて、聞かせてください。
プロ転向後のアイスショーを拝見していると、羽生さんのプロデュース能力の高さに驚かされます。2月26日には、東京ドーム単独公演「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023 “GIFT” at Tokyo Dome」を開催しましたが、自分で物語や構成を考えて、たった1人で東京ドームの観客を虜(とりこ)にする演技を見せるなんて、羽生さんにしかできないことだと感動しました。
また、これだけ注目を集めているお忙しい方ですから、競技生活中はコンサートに行ったり、ミュージカルを見たりということがなかなかできなかったと思うのですが、プロに転向したことによって、様々なアーティストとコラボレーションの機会ができて、きっといろんなインスピレーションを受けると思うんです。
今後もスケートを通して、スケートの枠を超えて、私たちにどんな世界を見せてくれるのか、本当に楽しみにしています。
限定盤 通常盤 「蒼い炎Ⅲ-究竟編-」(扶桑社刊)
著者:羽生結弦
定価:1870円(税込)©Keiko Asakura
引用:ケガとの戦い、弱さも赤裸々に告白――羽生結弦自叙伝「蒼い炎」の編集者が語る魅力 – Yahoo! JAPAN
――「Ⅰ」の制作はどのようにスタートしたのでしょうか。
2011年の東日本大震災で、羽生さんが練習していた「アイスリンク仙台」が被災したとうかがい、私たちに何かお手伝いできることがないかと考えて「『チャリティブック』を作りませんか?」とご提案したのが最初です。
震災後、羽生さんは全国のスケート場を転々としていたので、印税を遠征費の足しにしていただけないかと考えたんです。
<記事抜粋>
羽生結弦さん、アイスリンク仙台に5588万円寄付 総額8733万406円に
[ 2023年7月26日 13:11 ]宮城県仙台市にある「アイスリンク仙台」が、26日までに公式サイトを更新。
フィギュアスケート男子で五輪連覇を達成し、プロとして活動する羽生結弦さん(28)から5588万円1272円の寄付があったことを発表した。同リンクは「この度、羽生結弦様よりまた多額のご寄付をいただきましたことをご報告させていただきます」と報告。「羽生結弦様は、いつも地元仙台を深く愛され、また、『アイスリンク仙台』のことも、とても大切に思ってくださっています。これまでにも度々のご寄付を頂戴いたしており、感謝に堪えません。ここに深く感謝の意を表します」と感謝を記した。
引用:羽生結弦さん、アイスリンク仙台に5588万円寄付 総額8733万406円に― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
続けて「なお、頂戴いたしましたご寄付につきましては、皆様が『アイスリンク仙台』をより快適にご利用いただけるよう、有効な使い方を考えてまいります」と呼びかけ、「羽生結弦様の益々のご活躍と皆様のご健勝をお祈り申し上げます」と結んだ。
羽生さんは練習拠点にしていた同リンクに継続的に寄付を行っており、今回の寄付で総額は8733万406円になった。
フィギュアスケート男子で五輪連覇を達成し、プロとして活動する羽生結弦さん(28)から5588万円1272円の寄付があったことを発表した。
—–今回の寄付で総額は8733万406円になった。
<記事抜粋>
世界の羽生を支えたリンク震災後、8ヵ月間練習
神奈川区版
掲載号:2014年2月27日号震災後に撮影した一枚。左が都築コーチ、中央が羽生選手(都築さん提供)
ソチ五輪フィギュアスケート男子で金メダルに輝いた羽生結弦選手は、東日本大震災後の8カ月間、恩師の都築章一郎コーチがいる神奈川スケートリンク=広台太田町=を拠点に練習に励んでいた。
「教え子をメダリストにするのが夢だった。素晴らしい結果で嬉しい」。都築さんは1977年世界選手権銅メダルの佐野稔氏らを育てた名コーチ。羽生選手が小学2年生の頃から中学卒業まで、仙台と都内で指導にあたった。技術から生活面まで徹底的にサポートし、「これまでのコーチ人生の集大成を結弦に注ぎ込んだ」と話す。
恩師頼り来神
同リンクでは、震災の1カ月後から練習拠点を失った羽生選手を受け入れた。「本人は、このままスケートを続けていいのか葛藤していた」と当時を振り返る。それでも都築さんの支えで週5日、同所で練習しながら週末には全国のショーに出演し続けた。
羽生選手は当時、練習の合間に隣接する反町公園に行っては年下の生徒たちと鬼ごっこをして遊んでいたという。「生徒たちも結弦と一緒に練習できていい刺激になった」と都築さん。また、一緒に横浜のサウナに行き、師弟水入らずで裸の付き合いもした。「『世界の羽生』として、日本の心を表現するスケーターになってほしい」と、将来的には5回転ジャンプ成功にも期待を寄せる。同リンクは、2015年をめどに国際規格に対応した建て替えに向け準備が進められている。当時、理事長として羽生選手の受け入れを決めた山崎善也さんは「外国の選手も集うリンクになると思う。全国随一の指導陣を持つリンクとして、羽生選手に続くスケーターを18年の平昌五輪に輩出したい」と語った。
引用:世界の羽生を支えたリンク 震災後、8ヵ月間練習 | 神奈川区 | タウンニュース
『「本人は、このままスケートを続けていいのか葛藤していた」と当時を振り返る。それでも都築さんの支えで週5日、同所で練習しながら週末には全国のショーに出演し続けた』
<記事抜粋>
震災後に神奈川を拠点としていた頃の事が書かれている記事
羽生君は震災で神奈川に練習しに来ていた時、自分の練習よりも都築チームの練習生に沢山親身になって教えてくれました
羽生君は震災で神奈川に練習しに来ていた時、自分の練習よりも都築チームの練習生に沢山親身になって教えてくれました。私は羽生くんに何もできていないのにソチオリンピック終わった後練習生みんなの名前を覚えて練習ありがとうってをわざわざマグカップを買ってきてくれました。羽生君の
— Kaori Hirakawa平川 香織 (@gs5045) February 9, 2022
ファンは世界中に沢山いますが羽生君の優しさ、思いやり、フィギュア界を背負っている選手としてもっともっと愛されて羽生君の素晴らしさをもっともっと知っていただきたいと思いました。 pic.twitter.com/lbqwtjEEXG
— Kaori Hirakawa平川 香織 (@gs5045) February 9, 2022Kaori Hirakawa平川 香織:2022年2月9日
羽生君は震災で神奈川に練習しに来ていた時、自分の練習よりも都築チームの練習生に沢山親身になって教えてくれました。私は羽生くんに何もできていないのにソチオリンピック終わった後練習生みんなの名前を覚えて練習ありがとうってをわざわざマグカップを買ってきてくれました。
<一部抜粋>
羽生君が震災で神奈川に練習しに来ていた時のエピソード。
新天地で鍛え抜き、ソチの星となれ
- エール・インタビュー 羽生結弦
被災者のひとりとして、いただいた支援に演技で恩返し前を向いて諦めずに最後までやり抜く
日本、いや世界のフィギュアスケート界の次世代を担う羽生結弦は、常にポジティブな考えを持っている。
2008年度、14歳で財団の「スポーツ選手支援事業」の助成を受け、翌シーズンには内外のジュニアタイトルを総なめにするなど大躍進した。2010年度にはジュニア世界一に輝き、栄えある「上月スポーツ賞」を受賞した。そして2011~12年シーズン、ついにシニア大会で世界の3本の指に入るまでに成長。まだまだ伸びる17歳は2年後のソチオリンピックで頂点を目指している。2011年の3月11日午後2時46分。羽生は普段通りに練習していた。その時、突然大きな衝撃が走り、リンクの氷が海のように波打つ。扉、天井からは不気味な音が響く。「ここにいては危ない。でも逃げ出せる状況ではなかった。体がこわばり、立つことさえできなかった」。
東日本大震災チャリティー演技会 神戸 『白鳥の湖』(2011年4月9日)
未曾有の大災害で、仙台市内の自宅は全壊、4日間の避難所生活を経験した。心の整理もできないまま、時は過ぎていく。恐怖に襲われた生々しい記憶が脳裏から離れない。「スケートどころじゃなかった。電気もなく、お風呂にも入れない。この先どうやって生活していけばいいのか…」。目の前が真っ暗になるほど、不安だらけだった。震災から10日後、「うちのリンクに来ないか?」と、温かい声を掛けてもらった。東神奈川(横浜市)まで行って氷の上に立ったが、「嬉しいという感情はなかった。辛く、苦しく、悔しい気持ちだった」と振り返る。
数カ月が経って、やっと少し心にゆとりが出てきた。スケートで自分自身の成長する姿を見てもらうことが、被災地に勇気や希望、そして笑顔を取り戻すきっかけになれば、と考えられるようになってきた。この前向きな姿勢が2011〜12年シーズンの成績に表れる。大震災から4カ月後にホームリンクが営業再開。
9月のネーベルホルン杯(ドイツ)でシニアの国際大会初優勝を果たす。グランプリシリーズでは中国杯4位、続くロステレコム杯(ロシア)で初制覇を遂げた。グランプリファイナルは、あと一歩で表彰台に届かず4位。12月の全日本選手権で3位となり、2012年3月のフランス・ニースの世界選手権の代表になる。初の世界の大舞台。極度の緊張もあってショートプログラムで7位と出遅れた。だが、フリーでは4回転ジャンプをはじめ、すべてのジャンプを成功させ、観衆を魅了して銅メダルを獲得、思わずガッツポーズも出た。
技術要素点では優勝したパトリック・チャン(カナダ)らを上回る最高点をマーク。
演技を終えると涙が頬を伝わった。「自分は被災地の人たちに支えられている。何かを伝えようとしたのに、こっちがいつの間にか力をもらっていた」と語る。平均的なサラリーマン家庭に育つ。そのため、羽生がスケートを続けることは経済的にかなりの負担となる。リンクの貸し切り代、消耗品のスケート靴や衣装代、さらに帯同してくれる母親の遠征費用等々。中学時代に支援を受けた財団の助成金には「とっても助かりました」と頭を下げる。「上月スポーツ賞」の賞金もスケートの費用に当てた。「上月スポーツ賞の表彰式ではオリンピックのメダリストらと一緒で、何だか場違いな所に来てしまったかなと思った」という。
ISUグランプリシリーズ ロシア杯ショートプログラム『悲愴』 (2011年11月25日)
初優勝したISUグランプリシリーズ ロシア杯(2011年11月26日)
19歳で迎える2014年ソチオリンピックがターゲットだ。「夢にまで見たオリンピック大会ですから。でも、課題は多いんですよ」。4回転ジャンプの精度を上げ、ステップ、スピンなども高いレベルに持っていかなければメダルには届かない。
そのために金メダリストのキムヨナ(韓国)を育てたカナダ人コーチのブライアン・オーサー氏に師事することを決断した。負けず嫌いの性格は、羽生にとってすべてプラスにはたらく。「勉強でも何でも負けたくない」。東北高校でも学業成績は上位をキープ。両親の躾も厳しく、礼儀をわきまえ、頭の回転も鋭い。感受性の豊かさは、演技の表現力につながっている。
高校の先輩でもある金メダリストの荒川静香さんは復興支援に力を入れ、仙台のリンクの再開に尽力し、資金援助もした。「僕はまだまだ未熟だけど、荒川さんのように夢を与えられるような支援をできるようになりたいんです」。羽生はスケートの競技力を磨き、スケートは、羽生を少年から青年へと大きく育てている。
(2012年4月25日取材)
2010年度「上月スポーツ賞」表彰式 (2010年9月14日)
羽生結弦(17歳)
引用:エール・インタビュー 羽生結弦(スケート)|上月財団 30年史
フィギュアスケート男子シングル
東北高等学校3年
2008年度、14歳で財団の「スポーツ選手支援事業」の助成を受け、翌シーズンには内外のジュニアタイトルを総なめにするなど大躍進した。2010年度にはジュニア世界一に輝き、栄えある「上月スポーツ賞」を受賞した。そして2011~12年シーズン、ついにシニア大会で世界の3本の指に入るまでに成長。まだまだ伸びる17歳は2年後のソチオリンピックで頂点を目指している。
<記事抜粋>
「選手のためだけに衣装をつくりたい」羽生結弦らを担当するデザイナー 伊藤聡美のフィギュアスケートへの想い
2022.09.28
芸術性と競技性を兼ね備えたウィンタースポーツである、フィギュアスケート。2022-2023シーズンが開幕するとともに、アイスショーも全国で開催され、注目を集めている。
フィギュアスケートにおいて不可欠なものと言えば、選手の個性、楽曲、振り付けと一体化した、美しい衣装。その衣装を手掛け、国内外から高い評価を得ているのが、衣装デザイナーの伊藤聡美さんだ。
今年プロ転向を表明した羽生結弦さんを長年に渡り担当するほか、鍵山優真選手、樋口新葉選手、三原舞依選手や、海外選手の衣装も製作している。
今年4月には作品集『MUSE ON ICE』を発売するとともに、出版を記念した個展も開催。衣装そのものに魅了されているファンも多い。
そこで今回、伊藤さんに「フィギュアスケート衣装」の特徴から、選手や競技にまつわる知られざるエピソード、デザイナーとしてのあり方まで聞いた。PROFILE|プロフィール
伊藤聡美(いとう さとみ)
高校卒業後、エスモードジャポンに入学。在学中に神戸ファッションコンテストで特選を受賞し、ノッティンガム芸術大学へ留学。帰国後、衣装会社に入社し2015年に独立。国内外のフィギュアスケート選手の衣装デザイン、製作を手掛ける。作品集に『MUSE ON ICE』『FIGURE SKATING ART COSTUMES』など。
(プロフィール写真:Shoji Onuma)はじめに、「フィギュアスケート衣装デザイナー」になったきっかけから教えてください。
フィギュアスケートはもともと好きで、よく観戦もしていたのですが、最初からフィギュアスケート衣装を手がけたいと思っていたわけではありませんでした。きっかけは、服飾専門学校の在学中に、神戸ファッションコンテストで特選を受賞した際の副賞だった、イギリスのノッティンガム芸術大学への留学です。
留学中は「このまま海外で仕事をしたいな」と考えていたのですが、1年半ほど経ったころにビザの問題で帰国せざるを得なくなりました。そのため、日本での就職を考えることになったのですが、当時憧れていたのはアレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノなどのデザイナーだったこともあり、入社したいと思う企業がなかったんです。
どうしようか悩んでいた時に、フィギュアスケート衣装について考えるようになりました。私はフィギュアスケートの中でも浅田真央さんがとにかく大好きで、留学中も演技の動画をずっと見ていました。そこで初めて、「こんなに好きなんだったら、いつか彼女の衣装をつくりたい」という夢が浮かんだんです。
ただ、そもそもフィギュアスケート衣装を製作している会社があるのかさえ、わかりませんでした。そのため、Googleで検索するところからはじめて、結果的にその時トップに表示されていた衣装会社に入社しました。衣装に関して、これまでの経験とのギャップは感じましたか。
ものすごくありましたね。ミシンも糸も素材の種類も「こんなに違うんだ」と思いました。フィギュアスケートはスポーツなので、動きやすさを1番に考えなければいけません。ほとんど伸縮性のある素材を使い、軽量化に気を遣うので、一般的な服づくりとは全く異なります。
機能と見た目の美しさの両立が相反するように感じて、最初はすごく大変でした。初めて競技用の衣装を手がけた選手は今井遥さんでした。そこから、多くの選手の依頼が舞い込むようになったそうですね。
ある時、会社で「桜をテーマにした店頭ディスプレイ用の衣装」をつくる機会があったのですが、「せっかくつくったのだから選手に着てほしい」と思ったんです。そこで、今井遥さんサイドに「似合いそうな衣装あるので、よかったら見てくれないですか」と電話をすると、後日アイスショーで会ってくれることになりました。
お会いした際に衣装を見せると、気に入ってくれただけでなく、サイズも奇跡的にピッタリ。その日のうちに衣装を着て滑ってくれました。それがきっかけで「次の試合の衣装をお願いしたい」と言われて、2013-2014シーズンの『恋人達の夢』の衣装を製作することになりました。今井遥『恋人達の夢』<br>(2013-2014シーズン) 初めて選手から依頼をいただいたので、自分の全てをぶつけました。その結果、「遥ちゃんの衣装すごくいいよね」とフィギュアスケート業界で話が広まったそうです。この業界は小さいですし、選手やコーチもみんな知り合いみたいなところがあるんです。
おそらくそれがきっかけで、町田樹さんや羽生結弦さんサイドからも依頼が来るようになりました。フィギュアスケート衣装製作の裏側
衣装のオーダーは選手によって様々で、細かく指定する方から、お任せする方までいるそうですね。また、様々な関係者の意見をすり合わせるのが大変だとか。
衣装製作の流れとしては、選手サイドからオーダーを受けたのち、初受注の際は採寸します。その後、プログラムの曲を理解し、デザイン画に落とし込んで提案します。最低でも3案は送り、その中から選んでもらうイメージです。
デザイン画が選ばれた後も、選手だけでなく、コーチや振付師、親御さんなどのフィードバックを受けて修正することが多いです。
いろんな人の意見を反映した結果、最終的によくわからない衣装になってしまった経験もあるので、デザインと意見のバランスは毎回悩んできました。また、シーズン中の修正はどの選手もほぼ100%あります。1番多いのは「衣装のストーンを足したい」「染めをもう少し濃くしてほしい」というデザイン面。また、「一曲を通して滑ったら、緩い部分があった」とサイズを微調整することもよくあります。
他にも、選手がジャッジからアドバイスをもらったことを受けて、直すケースも多いです。最初は驚きましたけれど、フィギュアスケートではよくあることです。
「氷の色と衣装が同化して動きが見えなかったから、スカートの裾だけ色を濃くした方がいい」と言われたり、場合によっては「曲に合ってないから、衣装を全部変えた方がいい」と言われたりすることもあります。
そもそもの話で言うと、完成して納品したからと言って、実際に選手が衣装を着るかは試合を見るまで分かりません。最初に着ていたとしても、シーズン途中で別の衣装に変えられてしまうこともあります。
特に、オリンピックシーズンになると、複数の衣装会社やデザイナーに衣装を頼み、そこから最終的に決めるのは普通のことです。
もちろん選ばれなかった時は悲しいですし、1人で反省会をしています。ベストオブコスチュームは羽生結弦『Origin』
その中で、羽生結弦さんの衣装は2014-2015シーズンから手掛けていて、1番長い付き合いとのことです。羽生さんならではの製作過程について教えてください。
羽生さんは、ご自身の中でイメージがほぼできていると思います。
私と羽生さんとマネージャーさんとの間でやり取りをして製作しますが、色に関してはほとんど指定があり、音楽を必ず送ってくれます。そのいただいたものを受けて、私のインスピレーションから、デザイン画にしていきます。
何回も提案しているので、「羽生さんであれば、これを選ぶだろうな」とわかりますし、実際にその通り選ばれることが多いです。羽生結弦『Origin(紫)』(2019-2020シーズン)のデザイン画 具体的には、色もそうですし、やはり全体の雰囲気ですね。羽生さんは他の選手には着ることができない衣装を着こなせてしまいますし、それはご本人もわかっていると思います。そして、その「羽生結弦らしさ」をジャッジや周囲に貫く強さがあります。
羽生結弦『Origin(黒)』(2018-2019シーズン)のデザイン画 色は青が定番と言っていいほど、たくさんつくってきました。デザインでは中性的な衣装がよく選ばれますが、ロック調の音楽の時はライダース風の衣装も製作しました。全く違うテイストの衣装も着こなせるのでそういった所も羽生さんの強みだと思います。
『MUSE ON ICE』の表紙は羽生結弦『天と地と』<br>(2020-2021 / 2021-2022シーズン) 羽生さんを採寸した際に、初めて見るようなサイズで驚かれたそうですね。
スタイルは人それぞれであることを前提にした上でのお話ではありますが、身長もあり首も長く、あの細いプロポーションは維持するだけでもすごいことですが、維持どころか年々細くなって、刀のように研ぎ澄まされていっているように思います。伊藤さんはご自身のベストオブコスチュームとして、羽生さんの『Origin』(2018-2019 / 2019-2020シーズン)を挙げています。その理由について教えてください。
これまで青や淡い色のイメージがあった中で、黒と紫という2つともダーク寄りな色に挑戦して、装飾も自分の中で今までで1番、手が込んでいます。
楽曲は羽生さんの憧れていたエフゲニー・プルシェンコさんの『ニジンスキーに捧ぐ』をモチーフにしたもので、私もすごく好きだったので「この曲で滑るんだ」とうれしかったですし、だからこそ今までとは違う雰囲気でつくろうと思いました。
初代の黒Originはプルシェンコさんの衣装を踏襲して黒と金、羽生さんのお名前からインスピレーションを得て羽根の装飾を施しました。羽生結弦『Origin(黒)』(2018-2019シーズン) 2代目のOriginは、「黒ではなく違う色で」とリクエストがあったので、今まで羽生さんが着ていない紫を提案しました。デザインには薔薇や蝶々もあるのですが、ニジンスキーの「薔薇の精」をイメージしています。羽生さんだからこそ提案できたデザインです。
フィギュアスケート衣装は、選手本人と音楽、そして振り付けとがマッチすることで完成しますが、その意味でベストの衣装です。羽生結弦『Origin(紫)』(2019-2020シーズン) これまで大きな失敗もあったそうですが、ずっと関係性が続いているそうですね。
衣装に穴が開いているのに気付いたりとか……思い出したくないです……。
これ以外にもミスはいくつもあります。私自身「もう来年はないだろうな」と心配した中でも依頼をいただけているのは、本当にありがたいことです。衣装の工夫と近年の傾向
衣装において、デザインと動きやすさを両立させるために、どのような工夫をされているのでしょうか。
羽生さんの試合用の衣装として初めてつくったのが2014-2015シーズンの『オペラ座の怪人』で、衣装の重さは850グラムぐらいでした。そこから素材の使い方を改善して、今ではほぼ500グラム台で納品できています。
たとえば、ボディの素材を思い切ってメッシュにして、それを2枚重ねにすることで肌は見せずに、透け感を出す方法を考案しました。その際は、羽生さんからもフィッティングの時に「すごく軽くて動きやすい」という言葉をもらいましたね。
素材は常に新しいものが入ってきます。定番化している素材もありますが、できれば新しいものを率先して使っていきたいです。
最近で言うと、これまでは主にパワーネットという素材を使っていましたが、メッシュ状の生地なので、見た目にスポーツ感が出ます。そこで、そのイメージに合わない場合は、光沢のある綺麗なニットのような素材が入荷してきたので、そちらを使うようにしています。
ボーヤン・ジン選手が北京オリンピックでその素材を使った衣装を着てくれましたが、良い形のなびき方と、光沢感になったと思います。ボーヤン・ジン『Night Fight + Eternal Vow』<br>(2021-2022シーズン) 開幕した2022-2023シーズンの衣装に関して、傾向などがあれば教えてください。
今年も例年と同じくらいの30〜40着を納品しました。
北京オリンピックの影響もあり、去年から今年にかけては中国をイメージしたプログラムがすごく多かったですね。そのため、今年は特に海外選手からの依頼が増えて、漢服のモチーフや着物っぽいデザインの衣装をいくつも製作しました。
また、選手全体ではなく、私に依頼する選手限定かもしれませんが、ここ数年はワイヤーを使用した髪飾りを希望する女子選手が多い印象です。選手にとって特別な一着をつくりたい
現在、衣装をつくるうえで課題に感じていることはありますか。
今年、羽生さんやネイサン・チェン選手などの振り付けをされていた著名な振付師であるシェイ=リーン・ボーンさんとお会いした時に、「本来なら、曲が決まったり、振り付けが始まったりする段階からデザイナーも混ざって、一緒に話をしてクリエーションができたらいいのにね」という話をしてくれて、それは私もずっと思っていたことなんです。
衣装は曲から振り付けまで、すべてが決まった後に依頼されるので、言ってみると「一番下」です。でも、最初の段階から関われたら、もっと良い衣装ができると思うんです。
また、「衣装から楽曲が決まったり、振り付けが生まれたりしてもいいんじゃないか」とおっしゃってくれて、本当にそうなれたらいいですね。今後、どんなフィギュアスケート衣装をつくっていきたいですか。
フィギュアスケートという「アートスポーツ」のいいところは、順位が全てじゃないところです。プログラムの演技から、その選手の個性や、大袈裟かもしれないですけど、人生が垣間見えるんです。
だからこそ、衣装は選手にとって特別な一着になります。とにかく、選手に1番気に入ってもらえる衣装をつくりたいんです。
先ほどもお話ししたように、衣装はいろんな関係者の意見のもとで製作されます。ただ、私がこの仕事を続けている理由は、選手が好きで、自分の衣装を着てプログラムを滑ってくれることがうれしいから。最近は「選手のためだけにつくろう」と振り切るようになりました。
そんな想いでつくった衣装が、見てくれるファンの方々にとっても、選手とプログラムと一緒に思い出として残ってくれたらいいなと思います。
選手にとって特別な一着が、ファンのみなさんにとっても特別な一着になってくれたらいいですね。次にやりたいことは、伊藤さんの夢である浅田真央さんに関わる衣装を手掛けることでしょうか。
実は、今年の9月から開催されている浅田さんのアイスショー『BEYOND』で初めて衣装を製作させてもらったんです。
浅田さんの衣装をつくりたいという想いから、フィギュアスケート衣装のデザインに関わるようになって、かれこれ12年。「やっと叶った」という気持ちがありますね。それでは最後に「デザイナー」としてのこれからの目標について聞かせてください。
これまでずっとフィギュアスケートが一番でしたし、「フィギュアスケート衣装デザイナー」として見られてきましたが、最近はもうちょっといろんなことに取り組んでもいいのかなと考えています。
今はちょうど、社交ダンスの衣装と自分のコレクションをつくり始めているところです。将来的には舞台の衣装を手がけられたらと思っています。あとはまた展示会をやりたいですね。引用: 「選手のためだけに衣装をつくりたい」羽生結弦らを担当するデザイナー 伊藤聡美のフィギュアスケートへの想い | Fashion Tech News 伊藤聡美さんの展示会(写真:Yoshitaka Orita)
(衣装デザイナー伊藤聡美さんのインタビューです。)
羽生さんを採寸した際に、初めて見るようなサイズで驚かれたそうですね。
スタイルは人それぞれであることを前提にした上でのお話ではありますが、身長もあり首も長く、あの細いプロポーションは維持するだけでもすごいことですが、維持どころか年々細くなって、刀のように研ぎ澄まされていっているように思います。
<記事抜粋>
羽生結弦が語る、この半年間で生まれた変化 「服ってこんなに意思があるんだな」AERA 2023年8月14-21日合併号の記事を紹介
羽生結弦が語る、この半年間で生まれた変化 「服ってこんなに意思があるんだな」
プロスケーター 羽生結弦(撮影/写真映像部・高野楓菜) プロ転向から約1年。表現者・羽生結弦の進化が止まらない。「僕はフィギュアスケートしかやってないなって思ったんですよ」。本誌独占インタビューで、言葉を選びながらそう語った。AERA 2023年8月14-21日合併号の記事を紹介する。
【写真】蜷川実花が撮った!AERAの表紙を飾った羽生結弦さんはこちら
* * *
撮影が始まる。羽生結弦はこの日用意された服を身にまとうと、その衣装に沿う形でさまざまなポーズを、表情を、しぐさをしてみせる。それらの一つ一つが服や赤い薔薇の花に満ちたセットと絶妙にマッチしていて、驚嘆の声が撮影を見守る人々から何度も起こる。
「最近はその服を着たときにどういうふうに見えているのかを客観視していて、この服はどう見せてもらいたいのかな、というのを思うようにしています。ちょっと突拍子もないかもしれないですけれど、『この子はどう見られたいのかな』と服の声を聞いたりするようなイメージで動いています。それに加えて、(撮影する)蜷川実花さんはどういう視点から写真を撮っていて、どういう雰囲気を受け取りたいのかなと考えつつ、勝手に動いているみたいな感じですね」 それはこの半年の中で生まれた変化であると言う。
「半年くらい前まではプログラムじゃないですけど、スタジオの雰囲気を感じたりとかしながら自分の意思で動いている感じでした。でも撮影の中で服の素材のすごみのようなものを初めて感じることがあって、『服ってこんなに意思があるんだな』と思ってから変わったと思います」
それは撮影という一つのシチュエーションの中でも新たな表現の方法を得たことになるのではないか。
「そうですね」
羽生はうなずく。
ポーズやしぐさを指示されて演じているわけではない。だからこそ、服のテイストを捉えつつセットの中にたたずむ自身の姿を客観視し、服やセットを引き立たせて「演じ切る」姿は、羽生結弦が際立った表現者であることをあらためて実感させた。(ライター・松原孝臣)
※現在発売中のAERA 2023年8月14-21日合併号では、羽生さんのロングインタビューを掲載しています。そちらもあわせてご覧ください。
「最近はその服を着たときにどういうふうに見えているのかを客観視していて、この服はどう見せてもらいたいのかな、というのを思うようにしています。ちょっと突拍子もないかもしれないですけれど、『この子はどう見られたいのかな』と服の声を聞いたりするようなイメージで動いています。
それに加えて、(撮影する)蜷川実花さんはどういう視点から写真を撮っていて、どういう雰囲気を受け取りたいのかなと考えつつ、勝手に動いているみたいな感じですね」 それはこの半年の中で生まれた変化であると言う。
<記事抜粋>
羽生結弦「私も好意を…」幼馴染のJOC理事語るモテモテ秘話
羽生結弦「私も好意を…」幼馴染のJOC理事語るモテモテ秘話
記事投稿日:2021/07/30 11:00
「最初に会ったときは、私が小学校5年生で、ゆづが小学校2年生でした」
そう話すのは、今年6月、日本オリンピック委員会(JOC)史上初の“20代理事”に選出された高橋成美さん(29)。フィギュアスケートのペアで活躍した高橋さんは’14年にソチ五輪に出場。’18年に選手を引退し、昨年、女優への転身を発表した。役者業と並行して、コーチとして後輩の育成も行っている。
高橋さんと羽生選手は、小学生のころ半年間ほど同じ小学校に通い同じコーチのもと、練習をしていた時期もある仲。当時の思い出を聞いた。
「当時から、やっぱり特別な魅力を周りも感じていたと思います。ゆづがリンクで踊りだすと、みんなが一流選手を見るように壁際に寄って。当時はまだダブルジャンプを跳べるぐらいだったんですが、それでも入り込んで演技をするから、人を惹きつけるんですよね。“ザ・カリスマ”でしたね。
学校でもそんな感じの印象です。ドッジボールの投げ方ひとつにしても、みんながゆづの投げ方をまねしてるのがわかるんです。本当に人気がありましたね」
子供時代らしい次のようなかわいいエピソードも教えてくれた。
「ゆづには、やっぱり女の子たちがみんな好意を持っていて、私も一方的に少し好意を持っていた時期がありました(笑)。
それでそのころ、はやっている心理ゲームみたいなものがあったんです。四角いメモ帳を好きな相手に『〇を描いて』って渡して、描いてもらった丸の大きさが相手が自分に対して持っている気持ちの大きさだ、っていう。好きだったら大きいし、嫌いだったら小さいし、なんとも思ってなかったら中間だ、って。
私もちょっとドキドキしながらゆづに描いてもらったんです。そしたら、何の気もないような、普通の丸だったんです。期待した自分が恥ずかしくなりました(笑)」
2人がともに師事していたのは、日本フィギュア界の名伯楽とも称される都築章一郎コーチ。
「都築先生のすごいところは、跳べないジャンプを試合に入れたりして、子供たちに転んででも挑戦させるんです。ほかの先生から言わせれば、本番で失敗するイメージがつくからよくないという意見もあるんですが、今のゆづが失敗しても挑戦し続けているとか、限界を定めないというのは、小さいころからの都築先生の教えがあったからだと思っています」
ここ数年は、長く羽生選手と会っていないという。
「いまは、私が一方的に、ゆづの試合の結果を見て“すごいなぁ。私も頑張ろう”と思わせてもらっています」
羽生選手は昨年から今までコロナ禍のなか、国内で1人でトレーニングをしている。選手だった立場からその現状をおもんぱかる。
「私だったら、コーチがいない環境で1人で氷に向かうというのは絶対に耐えられないし、逃げちゃうだろうと思います。ただゆづだったら、どうこの状況を乗り越えるんだろうというワクワク感もあります。こんな状況でもみんなを感動させて驚かせるゆづって“神”だなって。私、どの神様よりも、ゆづを神様だと思っています(笑)」
東京五輪が終われば、来年2月には北京五輪が待っている。羽生選手も出場の可能性が高い。今後は「JOC側として選手たちの思いに貢献したい」という高橋さん。同世代の戦友のバックアップを受けて、3度目の五輪の氷上に羽生選手が立つ日が来るのが楽しみだ。
出展:羽生結弦「私も好意を…」幼馴染のJOC理事語るモテモテ秘話 | 女性自身
「当時から、やっぱり特別な魅力を周りも感じていたと思います。ゆづがリンクで踊りだすと、みんなが一流選手を見るように壁際に寄って。当時はまだダブルジャンプを跳べるぐらいだったんですが、それでも入り込んで演技をするから、人を惹きつけるんですよね。“ザ・カリスマ”でしたね。
学校でもそんな感じの印象です。ドッジボールの投げ方ひとつにしても、みんながゆづの投げ方をまねしてるのがわかるんです。本当に人気がありましたね」
「ゆづには、やっぱり女の子たちがみんな好意を持っていて、私も一方的に少し好意を持っていた時期がありました(笑)。
<記事抜粋>
高橋なるみちゃんのインタビューです。
昔一緒に都築先生に教わっていたんですよね。
羽生さんはやっぱり小さい頃からモテモテだったんですね。
人の目を惹きつける独特の色気のようなものがあったんでしょうね。
内村航平×羽生結弦SP対談 二人の王者が語った“究極のゾーン”体験 “操り人形系”羽生と“ロボット司令塔系”内村
S-PARK 2023年1月21日 土曜 午前11:20
【独占秘話】内村航平・羽生結弦スペシャル対談夏の絶対王者・内村航平(34)と冬の絶対王者・羽生結弦(28)。
スーパーレジェンド二人による国宝級対談。
第1弾では「オリンピック」についてフォーカスしたが、第2弾は「ゾーン」をテーマにお届けする。内村「“ゾーンの向こう側”に」
トップアスリートが競技人生で極まれに入ると言われる極度の集中状態「ゾーン」。究極のアスリート二人が経験した“究極の境地”とは?
羽生:
自分で「ゾーン」を定義するのであれば、何回くらい入れたと思いますか?
内村:
いや、もう数え切れないぐらい。レベルで言うとMAXに近いのが2回ある。
競技しているところ以外でも今日は1日上手くいくって所から始まって、最後まで自分の思い通りにいった。羽生:
ラッキーパーソンみたいな言い方してますけど、そんなレベルじゃないですよね(笑)2011年の世界選手権で、内村は心技体全てが揃ったまさに“パーフェクトな体操”を見せた。6種目全ての着地を完璧に決める圧勝で、史上初の個人総合3連覇を達成した。
内村:
寝ているんだけど、「もうすぐ目覚まし鳴るな」と思う時があるでしょう。
その時から「今日は全てがうまくいく」って思えてそこから全部良かった。
羽生:
試合当日ですか?すごいですね。内村:
それが“過去一のゾーン”。
“ゾーンの向こう側”にいったこともあって、それはリオ(五輪)の個人総合決勝の鉄棒の時で…。内村は自身3度目の五輪だった2016年リオ五輪で、44年ぶりとなる個人総合2連覇を成し遂げた。0.9点差を大逆転した最終種目・鉄棒の演技中に、内村は「ゾーン」すらも超えた“向こう側”にいきついた。
内村:
「練習は試合のように」「試合は練習のように」と言われる。
でも試合が練習のようにできたことなんてほぼない。
絶対にないと思っていて、「試合は試合」だと思っていたけれど、その時だけ「あ、練習のようにできている!」みたいなことがあって。
“ゾーンの向こう側”にいけたから、1回入りまくったら“無”になったみたいな。
いつも通りできた。羽生:
ちなみにゾーンの時テンション高くなります?内村:
なるけど抑えている。
「これはテンション上げると良くない」って。羽生:
向こう側にいってる時は“無”なんですね。内村:
“無”だった。
すごく開き直れてるというか、「どうにでもなれ!」みたいな感じの時が“ゾーンの向こう側”なのかなって気がする。羽生「“奥の方のゾーン”は呼吸すら危うい」
羽生:
(ゾーンが)深いなと思ったのは僕も2回なんですけど、初めてゾーンに入ったなと思ったのは小学校4年生ぐらい。
羽生結弦の小学校4年生(9歳)といえば、2019年のインタビューでこう話していた。「僕の中で9歳の自分とずっと戦ってるんですよ。
9歳で初めて全日本ノービスを優勝した時の“自信しかない”、“自信の塊”みたいな自分がいて」2004年の全日本ノービスBで初めて全国優勝。“自信の塊”だった小学4年生の羽生はその時「魔法のような感覚」を手に入れていた。
羽生:
その時は、上からちゃんと全部リアルで見えていて、(ジャンプを)跳んだ瞬間に時間を止めて、「軸ブレてるから直そう!」って思って、上からつまむような感じでギュッと直したら全部跳べるみたいな時期もありました。内村「頭の中にいる“ちっこい自分”が操ってる感覚」
内村:
“ゾーンの感覚”が似てるかもしれないです。
羽生くんの場合はおそらく“操り人形系”なんですけど、僕の場合は“ロボット司令塔系”なんですよ。
“操縦室”みたいなところに“ちっちゃい自分”がいて、(演技を)やってるんだけど感覚は自分ではない。頭の中にいる“ちっこい自分”が操ってるみたいな感覚。羽生「面白いですね。僕は上からですね」
羽生:
面白いですね。僕は上からですね、完全に。内村:
一時停止できるのいいね。俺はできなかった。羽生「2020年の全日本選手権がゾーンが一番深かった」
羽生:
たまにあるじゃないですか。カメラとかで跳んでる瞬間に後ろにいくみたいなやつ。
回ってて途中の段階で一時停止して、カメラアングルが変わって降りてくるみたいな。
アレができます。
でもそれは“ゾーンの手前”です。“奥の方のゾーン”は、呼吸すら危うい感じ。
してるかしてないか分かんないみたいな。あくびしかでない。
2020年の全日本選手権がゾーンが一番深かったと思います。2020年の全日本選手権・フリー。羽生は4回転4本を含む高難度構成を完璧に決め、5年ぶりの全日本王者に輝いた。
そんな神演技の直前に入った“最も深いゾーン”。
通常ならアップから演技に向けテンションを最高潮に持って行く羽生だが、この時は違っていた。
羽生:
ただ疲れてる人みたいな感じ。でも、なにもミスする気がしない。
6分間の本番直前練習が終わって、自分の本番に入るまで10分ぐらい寝ました。
だから、寝ながらイメトレとかしていたと思うんですけど、しっかり熟睡してるんです。それで、ちゃんと10分と決めて自分でストップウォッチ押して、目をつぶってからパッて目開けてパッとやるまで、完璧な“10分00秒”に行くんです。深い時はそういうことがあります。羽生「簡単にゾーンに入れなくなった」
羽生:
でも、やっぱり4回転半入れるようになってから、そんな簡単にゾーンに入れなくなりました。やっぱり意識しすぎちゃう。いろいろ計算するじゃないですか、難しいジャンプや技をやる時は、「ここ、こうして、こうやって、こうなって、こういくからこういって、ここで行ける」みたいなことをずっとイメージして、何回も何回も反復でやる。
固まるんです。思考使いすぎると酸素も奪われるし、その感覚は4回転半には、すごくあります。内村:
確かにめちゃくちゃ分かる。羽生:
ブレットシュナイダー(空中で体を2回宙返りしながら2回ひねって鉄棒をつかむというH難度の大技)やる前とかめっちゃくちゃ考えてますもんね。
なんか分かります、見ていて。内村:
考えて考えて考え抜いて、“その先に考えない”みたいなところに…。羽生:
そこにいけると楽なんですよね。いけないんですよね。内村:
いけないんですよ。本当考えちゃうんだよね、やっぱわかってるんだけど、考えちゃうみたいなとこは、確かにある。羽生:
それも練習なんですね。
どれだけ質のいい練習ができるか、っていうと、そこまでたどり着けなかったらやっぱりたぶん本来は使うべきじゃないんだと思う。
でも、使わないと勝てない場所もやっぱりあるので、その使わないで勝てない確率が低いものでも、その後“そこにいき着くまでのゾーン”と“そこをやり終えた後のゾーン”に入るスイッチが、どれだけ早くはまるかっていうのはなんか、ちょっと気にします。レジェンドたちも戦った固定観念“年齢”
人知を超えた超人たちにも、人知れず存在していたのが“葛藤”。
王者が王者であり続ける為に、肉体と精神との究極の向き合い方が存在する。羽生「“年齢”の固定観念が強かった」
羽生:
24歳になってその4回転半を目指しながら練習している時に、「なんでこんなに他のジャンプ跳べなくなったんだろう」と思うことがあって、フィギュアスケートの中の“年齢”という固定観念が強かった。
フィギュアスケートで言うところのその24、25歳ってもう落ちてきている年齢なので、「あ、跳べなくなって当然か」みたいな。でも抗おうとしている時点で、その固定観念がとれていない。
それがちゃんと取れたのは、日本に帰ってきて、練習環境が変わって、その効率のいい練習の仕方が見つかってきて…というところでした。
内村:
確かに固定観念が邪魔することはある。
「人間だから」と思う時もあるけど、「人間に不可能はない」と思うこともない?
羽生:
あります。
「なんで俺が4回転半跳べないんだろう?」って思うことよくあります(笑)内村:
そういう感じがある。
「でも人間なんだよな」って思うこともある。羽生「肉体と精神のバランスが良くなった」
羽生:
精神を摩耗することが少なくなったかもしれない。
無駄に摩耗して行く時って絶対あるじゃないですか。
確かにがむしゃらさは必要かもしれないけど、試合にがむしゃらさは必要ない、最終的には。
例えば、6種目総合やってる時に最後の鉄棒では、がむしゃらさというよりも、いわゆる気持ちが凌駕していて、“肉体勝手に動いてくれている”みたいな。
でも、その“肉体勝手に動いてくれる”までの練習を積んでいないとできない。例えば、4分半、4分のフリーがある時に最後の3本のジャンプが何も考えなくても跳べる。
その何も考えなくても跳べるまでに至る時に、がむしゃらにやっていたら簡単なジャンプではないので、いつか捻挫するだけだし、そんな回数、例えば、100本跳んだら100本分上手くなるかって言われたらそんなことなくて。
10本ずつを10日間ですごく集中してやった方が学べることは多いかもしれない。
ということを考えると「もっとこういう練習あるじゃん」と思ってやってこられました。
それがある意味では(精神を)摩耗しなくなったという感じです。
体力と精神のバランスが良くなったかなと。
内村:
すごいです!
体操をやっていなくて、ここまでその体操のこと、僕が思ってること、やっていることを分かってる人がこの世にいるんだ!って、今シンプルに思いました。
「考えなくてもできる領域までいかなきゃいけない」と、僕、結構言っていたと思うんですけど、それを本当に分かっていらっしゃるって。
本当に同じ領域までいった人なんだなって思いました。羽生:
体操を広めていらっしゃるじゃないですか。色々な活動をされて。
内村:
好きでやってきたことで結果も残してきたし、「自分の好きなことをみんな知ってよ」ぐらいな感じでやっているだけ。
はたから見ると、羽生くんのやっていることは次元が違う。羽生「自分のスケートを完結させたい」
羽生:
自分のスケートを完結させたい。ちゃんと自分のスケートが見たいと思ってくれている人に対して、自分のスケートだけで全部勝負するみたいな感じはちょっとありました。
内村:
ちょっと考えられない(笑)。一人でやることもそうなんだけど、競技レベルでやれるところ。やっぱ年齢的なものなんですかね?僕のは(笑)
羽生:
そこも多分、固定観念だと思いますけど(笑)
内村:
ヤバいな、全部覆される…。羽生:
若い選手たちのほうが間違いなく勢いがあるし、ジャンプもキレが違うし、高さも出るし、瞬発力とかも。
だんだん変わっていったりとか、それこそ「がむしゃらにやっておけば跳べる」という時期がある。
それで年齢を重ねて、だんだんその「がむしゃら」や、「おもいっきり」がなくなってきますけど、その人たちより経験してるいるし、その経験を使えるのは僕しかいないなと思う。
そう考えるとちょっと楽だなと。
別に瞬発力使えないんだったら違うところで見せられればいいし、それが自分のプライドを傷つけるようなものだったらやる必要はないと思います。羽生「僕は4回転半やるのをやめない
羽生:
だから、僕は4回転半やるのをやめないですし、でも、それプラスアルファで自分がプライドとして持っている“自分のスケートの綺麗さ”は続けていきたいと思いますし、絶対それは譲らないって思っています。
内村:
僕も明日からブレットシュナイダーまたやります!
羽生:
意外とできると思いますよ(笑)内村「“ほんのちょっと”がまさか羽生結弦さんだったとは
内村:
やれるところまでは戻って来ていて…。
もうあと“ほんのちょっと”だなと思って。
“ほんのちょっと”がまさか羽生結弦さんだったとは思いませんでした(笑)1月13日に発表された、アイスショー「羽生結弦 note stellata」(3月開催)での二人の共演。内村航平がスペシャルゲストとして出演することが決定した。
内村航平と羽生結弦。
二人のトップランナーはこれからも、自らの信じる未来を突き進む。
引用: 内村航平×羽生結弦SP対談 二人の王者が語った“究極のゾーン”体験 “操り人形系”羽生と“ロボット司令塔系”内村|FNNプライムオンライン
羽生:
その時は、上からちゃんと全部リアルで見えていて、(ジャンプを)跳んだ瞬間に時間を止めて、「軸ブレてるから直そう!」って思って、上からつまむような感じでギュッと直したら全部跳べるみたいな時期もありました。
<記事抜粋>
堂本光一(44)羽生結弦(28)が初対談。NHKEテレ「スイッチインタビュー」
KinKi Kidsの堂本光一(44)とプロフィギュアスケーターの羽生結弦さん(28)が初対談した。NHKEテレ「スイッチインタビュー」(金曜後9・30)で10月6日から3週にわたり放送される。
主演のSHOCKシリーズを1986回上演。日本演劇界における同一演目のミュージカル単独主演記録を更新し続ける光一と、フィギュアスケート男子で五輪連覇してプロ転向後も飽くなき探求を続ける羽生さんの対面。光一は「一つの生き方の提示が羽生さんの言葉に表れていた。受け取ってもらえるエールがたくさんある」と熱く語った。
異分野で活躍する2人が対談する人気番組。今回は「誰の話を聞きたいかな?と思ったときに、浮かんだのが羽生さん。頂点を極めた人の自分自身の向き合い方などを聞いてみたい」という光一の要望で実現した。初夏に羽生さんの練習拠点である宮城県のアイスリンクを訪れ、練習を見学。羽生さんは初の金メダルを獲得した14年ソチ五輪SPでも演じた「パリの散歩道」などに合わせ、4回転ジャンプやトリプルアクセルを次々着氷。ハイドロブレーディングやイナバウアーなどの確認も行った。
翌日は羽生が当時の世界最高得点を更新した2015年NHK杯FS「SEIMEI」や、「Endless SHOCK」の映像の鑑賞を交えながら、高みを追い続ける2人ならではのトークを展開。互いに質問をぶつける形式で、光一が「Endless SHOCK」の代名詞フライングと、フィギュアスケートの意外な接点を明かした。
さらには羽生さんが「自分が突き詰めれば突き詰めるほどここまで突き詰めなくて良いと思っている方もいる。正直見えているものが周囲と違うときは孤独、孤高と思う」と苦悩を告白。光一は「20代の頃の俺と似ているところがある」。求道者同士の共鳴も起きた。
羽生さんは「光一さんだからこそ聞いていただけたこと、話すことができたものもありました。違う場所にいる人間で、全然違う立場で、時代もちょっと違うけれど、分かり合えた人間同士の会話を聞いていただけたらうれしい」とアピール。演劇界と氷上の孤高の王子。夢の対面に注目だ。
引用:堂本光一×羽生結弦さん 夢の対談実現 演劇と氷上の頂点がNHKEテレ「スイッチインタビュー」で共演― スポニチ
【羽生さんに聞く】
――堂本光一さんからのインタビューを受けて、いかがですか。
「光一さんの方から、20代の頃の自分と似ているようなことを言っていただけたのは凄くうれしかったです。これから自分も年を重ねていくにあたって光一さんのようにかっこいい男性になれたらいいなと、また強く思いました」
――かなり意気投合して見えましたが。
「初めてお会いしているんですけど、お互いに腹の内が見えるというか、何となくこういう人生歩んできたなみたいなものがお互いに共通点として感じられるような感覚がありました」
――ウオーミングアップから見学してもらった意図は?
「フィギュアスケートって、氷上で跳んでいるイメージや、回っているイメージがあると思うのですが、そこに行くにあたって、どれだけ体をつくり上げてから行くのかを見ていただきたかったんです。フィギュアスケートというか、羽生結弦を見るときの感覚も何か変わるかなと思って見ていただきました」
――「パリの散歩道」など、代表的なプログラムも練習されていたし、高難度のジャンプも盛り込まれていました。
「自分のルーティンとして、昨日は結構強度高めの練習を組んでいた中に、たまたま含まれていました。(ジャンプも)ほぼ4回転か3回半でした」
――ウオーミングアップから1時間、練習というより見事なパフォーマンスを見せてもらいました。あのような練習を普段からされているのでしょうか。
「そうですね。昨日は週2回のペースで行う、瞬発力を鍛える練習でした」
――対談で堂本さんならではの質問、着眼点と思ったものはありましたか。
「(動きを)止めるときの難しさをお話しされていて、パフォーマンスをやっている人じゃないと分からないところだなと思いました。普段は“こんなにも4回転バンバン跳ぶんですね”“プロに転向して、競技会のスケーターではないのにこんなにジャンプを跳んで凄いね”という感想を頂くことが多いです。光一さんからは“練習が終盤になるにつれて体が動いていく”とか“疲れてきたときだからこそ出てくるかっこよさがある”と言っていただいた。光一さんならではの視点かなと思います。限界まで追い込み続けている人間同士の共鳴みたいな感じですかね」
――羽生さんから見ての光一さんとの共通点は?
「恐れ多いですが、割と完璧主義者なところは似ているかなと思います。何をするにしても、完璧にこなしたい、理想通りにしたいという思い。理想というものが常に自分の前にあるという感覚が凄く似ているなと思いました」
――理想を達成しても、また追いかけていく感じ?
「理想と一定の距離感が常にあって、理想に近づくということがあまりなく、常に何かを求めてやっては、もう既にその次の理想が遠くにある。その感覚は光一さんと近いのかなと思いました。あと自分でいろんなタスクをこなしているところ。演技はもちろん、演出、歌、照明、脚本しかり。全てにおいて自分一人で考えきれてしまう。それをまとめる役割も似ているのかなと思いました」
――テレビで見ていたときと印象の変化はありましたか?
「光一さんはそれこそ隙がなくて、基本的に何でもこなせる方ですし、何をやっていても失敗する姿が見当たらない。そういうイメージがありました。それが今日お話しさせていただいたときに、凄く生身の人間なんだなと感じました」
――理想を追い求める方同士だからこその共通の悩みはあるのでしょうか。
「自分でできてしまうからこそのつらさ。離れていってしまう人が多くいるだろうというところ。自分がそういうタイプだったので、割と想像しやすかった。だから“こう思っているんですけど”とぽろぽろ言い始めたら、本当にお悩み相談みたいになったと思いました。やっぱり人生の時間としての経験が長い分、そして舞台を踏んでいる数が、1950回以上。それほど『Endless SHOCK』に関して、(上演回数を)積まれているので、やっぱり経験値の差があまりにも違いすぎる。あとはそこから得られる知見とか。もちろんその体力の使い方も全然違うので、比較はできないんですけど、そこから得られている経験、知識は僕もたくさん参考にさせていただいて、これから自分のショーやプログラムに向き合っていきたいです」
――光一さんから羽生さんへのインタビューコーナーを終え、これから羽生さんが光一さんにインタビューする番です。普段なかなかインタビューをする機会はないですよね?
「確かにないですね。後輩に話を振ることはありますが、インタビューでは基本的にずっと答える側ですね」
――光一さんに聞きたいことは?
「演技についてこだわりが強すぎて、完璧にしたいからこそ、隙のある自分を消してしまったり、メンタルのケアがおろそかになってきたりすることがある。光一さんがどうバランスを取っておられるのか、気になりますね」
――それでまたご自身のパフォーマンスにも生かしていくのでしょうか。
「やり続けていて、結局何のためにやっているか分からなくなる、という話をしました。分からなくなるけど結局やるんですよね、と。そして見てくださる方の期待に応えたい。応えられなければやめればいい。そんな感情をお互い分かり合えた。自分一人じゃなかったと思えました」
――いつか「Endless SHOCK」を生で見てみたいですか?
「見たいですね!やっとコロナ禍の制限が緩和されてきて有観客でのフライングも解禁され始めた。僕が見ているのは20周年の時の映像版のものなので歓声や拍手がないんです。実際その拍手と歓声がある中でどういう雰囲気になるのかも含めて、いつか生で楽しみたいなと思いましたね。時間をつくることができれば行きたいです。練習がなかなかやめられないのでなかなか難しいですけど、ぜひ勉強に行かせていただきたいです」
引用:羽生結弦さん 堂本光一とは「完璧主義者なところ似ている」 NHKEテレ「スイッチインタビュー」で対談― スポニチ
【堂本光一に聞く】
――羽生結弦さんと対談をしたいと思ったきっかけは?
「今回この(番組の)お話を頂いたときに、誰の話を聞きたいかな?と思ったときに、浮かんだのが羽生さんでした。もちろん自分がやっている仕事と比べてしまうのは失礼にあたるかもしれないけど、スポーツ選手なんだけど、体の表現をすることに点数をつけられていた。プロに転向されて、今はそうじゃない。頂点を極めた人で、自分自身の向き合い方などを、ご本人の口から聞きたかったのが一番です」
――フィギュアスケートに興味があると伺いました。
「フィギュアスケート自体、テレビで放送されていれば見る感じでしたね。全然にわかですけど」
――通じ合うというか、お互いに同じ何かを感じた?
「通じ合うと言ったら凄く失礼に当たるかなと思うし、本当に今話している以上のたくさんのご苦労だとかをしてらっしゃるんだろうなと思います。もしかしたら羽生さんが凄く僕に合わせてくださっているところもあるかもしれない。共感と言ったら凄く失礼かもしれないけど、共感できる部分があるというのが自分の中で矛盾しちゃって、凄く勉強になりますね」
――ご自身と羽生さんの共通点はどのようなところにありますでしょうか。
「ケガも、つらいこともそこを乗り越えられる、乗り越えようとする強さを持ってらっしゃる。その強さを俺が持っているわけじゃなく、そこに共感する。自分もそうでありたいと思っているから、そう感じました」
――何か一つのことを突き詰めた同士じゃないと分からないものがあるのでしょうか。
「こうやって話をしていて、言葉にして聞かないといけないし、テレビだと言わないといけないし、聞かないといけないし、答えないといけない。だけど、もう羽生さんは表現者だから言葉じゃないんですよ。だからそれを言葉にすると、何か誤解を生んで伝わってしまうこともあるし、きっとそれすらも分かっていてお話ししてくださっているんだろうなと。今回お話聞きたいと思ったけど、なんかそれすらもやぼに思えてくるほど、あの人の人生とかそういうものを、スケートで表現している人なんだなと感じます」
――やはり昨日の練習をご覧になって思われたのですか?
「もちろんそれもあるし、話してみてさらに思いました。でも話さなかったらそういう結論にも至ってない。話してみて、さらにこの人は、スケートに人生を表しているんだなとより感じました」
――練習についてもお伺いさせてください。フィギュアスケートを生で見るのは初めてでしょうか。
「初めてでした。だから凄いよね。フィギュアスケートを生で初めて見たのが羽生結弦さんの練習。ぜいたくです」
――なかなかいらっしゃらないと思いますね。
「そうですよね。そうですね、今後の人生で自慢にしようと思います(笑い)」
――スピード感などはいかがでしたか。
「スピード感うんぬんじゃなくて、アップからだんだんギアを上げていくさまに“羽生結弦”の人生が表れている気がしました。人柄や、あの人の背負ってきたもの、人生がそこに乗っているなというのは、あの短い時間でも感じたことです。我々は競技をしていた頃テレビとかで見た、それはもう出来上がった瞬間を切り取って見ているだけなんですよ。そういった意味では、羽生結弦もやっぱり人間なんだという部分を見せてもらった。もう凄くレベルの高い次元の世界でやってらっしゃることだけど、だけど羽生結弦もやっぱり体を起こさないといけないんだなって。それが印象的でした」
――練習の見学について羽生さんとお話ししたことは?
「自分みたいな人間は、稽古場に取材が来ると逆に構えて“カメラこっち撮ってるやん…”と考えてしまう小物です(笑い)。羽生さんはそれすらもエネルギーに変えて、頑張ろうって切り替えてやっていらっしゃる。自分なんかと次元の違うところにいらっしゃるんだなと思います」
――28歳という若さですが。
「話していて、その若い頃の自分の考えに重なる部分っていうのがたくさんあって。もちろん踏んできたステージの大きさ、背負ってきた責任も違うかもしれない。だけど年齢だけの差で言うと、今もそれはもしかしたらあるのかもしれないけど、彼がプロに転向して、これからショーとかいろんなことをやっていく中で、ふと楽になったとき、もうちょっとふと肩の荷が下りたときに、どんな“羽生結弦”が見られるんだろう、と。もしかして見せてくれないかもしれないけど、“羽生結弦”ってどうなるんだろうなっていうのが見たくなりました」
――最後に視聴者の方々にメッセージを。
「フィギュアスケートのファンの皆さんからするともしかしたら、何て失礼なことを聞くんだとか、あるかもしれなくて、ちょっとビクビクしている自分もいます。でもその辺もちょっと抜きにして、何か羽生さんの持っている、考えている部分っていうのが少しでもお聞きできるといいなと思いながらお話しさせてもらいました。フィギュアスケートのファンの皆さんはもちろんのこと、自分のファンの皆さんもそうですし、それこそ全然お互いのファンじゃない方も、何か一つの生き方の提示みたいなものが、羽生さんから一つ一つの言葉に表れていた気がします。そこから受け取ってもらえるエールっていうのがたくさんあったんじゃないかという気がする。僕のことは置いといて、たくさんの方にご覧いただきたいです」
引用:堂本光一 羽生結弦さんの舞う姿に「人生が表れていた」 NHKEテレ「スイッチインタビュー」で対談― スポニチ
さらには羽生さんが「自分が突き詰めれば突き詰めるほどここまで突き詰めなくて良いと思っている方もいる。正直見えているものが周囲と違うときは孤独、孤高と思う」と苦悩を告白。
光一は「20代の頃の俺と似ているところがある」。求道者同士の共鳴も起きた。
<記事抜粋>
初夏の撮影だそうです。
羽生さんが、週2回のペースで、瞬発力を鍛える練習をしていることも判明しました。
<一問一答はこちら>
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